大判例

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大阪高等裁判所 昭和50年(ネ)1797号 判決

昭和五〇年(ネ)第一七九七号事件控訴人

・同年(ネ)第一七九〇号、第一九三八号事件被控訴人(第一審原告)

西村徹

右訴訟代理人

仲田隆明

外二名

昭和五〇年(ネ)第一七九七号事件被控訴人(第一審被告)

大阪府

右代表者知事

黒田了一

右訴訟代理人

道工隆三

外二名

右指定代理人

岡本冨美男

外二名

昭和五〇年(ネ)第一七九〇号事件控訴人

・同年(ネ)第一七九七号事件被控訴人(第一審被告)

株式会社大阪読売新聞社

右代表者

栗山利男

右訴訟代理人

塩見利夫

外三名

昭和五〇年(ネ)第一九三八号事件控訴人

・同年(ネ)第一七九七号事件被控訴人(第一審被告)

株式会社大阪新聞社

右代表者

永田照海

右訴訟代理人

藤田太郎

外一名

主文

一、第一審原告の第一審被告三名に対する各控訴及び第一審被告株式会社大阪読売新聞社、同株式会社大阪新聞社の第一審原告に対する各控訴をいずれも棄却する。

二、控訴費用は各控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一第一審原告主張の請求原因(一)のうち、第一審原告が大阪府立大阪女子大学教授である事実、同(二)前段のテレアビブ空港乱射事件の発生と警察の捜査、同(三)の比嘉課長の発表、同(四)の第一審被告両新聞社の報道の各事実は当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると、第一審被告大阪読売新聞社は本件記事の末尾に「何かの間違いでは」との見出しの下に第一審原告の妻西村夫佐子の「なにかの間違いではないか。丸岡なんて全く知らない」旨の談話を掲載し、続いて「井上康を起訴」の見出しの下に右起訴の事実を掲載し、なおトツプ記事である本件記事に続いて同一紙面で五段抜きの「女性研究官(通産省)ら逮捕永田らをかくまう」との見出しの下に連合赤軍最高幹部永田洋子同坂口弘の二人をかくまつた通産省研究官ら六名を犯人隠とくの疑いで逮捕した旨の記事及び容疑者二名の写真を掲載し、〈証拠〉によると、第一審被告大阪新聞社は本件記事中に奥平剛士、安田安之、丸岡修、檜森孝雄四名の写真を掲載していることが認められる。

二右事実以外の本件の経過として当裁判所が認定した事実は、次のとおり付加訂正するほか、原判決理由二の説示と同一であるから、これを引用する。

1  原判決一三枚目裏三行目から四行目に「証人松井栄三、比嘉政一、浅田康主、小原常雄、西村夫佐子の各証言および原告本人尋問の結果」とあるのを、「原審証人松井栄三、原審及び当審証人比嘉政一、同浅田康主、同小原常雄、同西村夫佐子の各証言、原審における第一審原告本人尋問の結果」と改める。

2  原判決一六枚目表六行目の次に、次のとおり付加する。「ところで、右比嘉課長の発表は、課長室に参集した前記各社の記者に対し、同課が捜査を担当していた本件テルアビブ空港事件の捜査経過の発表の際にとつてきたいわゆるレクチヤー形式で発表されたものである。すなわち、まず比嘉課長において簡単なメモに基づき捜査結果の要点を述べ、これに関連して記者側から質問がなされ、比嘉課長がこれに対しさらに説明を行うというものであつた。発表は同日午前一〇時半頃から始まつたが、記者側からの質問が相次ぎ、同課長が記者会見を終つたのは午後〇時過ぎであつた。各社の記者の質問は当然のことながらテルアビブ空港事件の背後関係に及び、第一審原告が右事件を惹起した過激派集団特にその国内組織とどの程度関係があるのか等に関連する質問が相次いだ。これに対し、同課長は前記のように第一審原告は事情を知らずに手紙の受取りや金員の貸与をなしたものであると述べている旨説明した。同課としては第一審原告の取調べを始める際は、第一審原告が事件の大きな鍵を握つているのではないかと疑つたが、取調べの結果は第一審原告が知らずに利用されたということで、容疑は薄らいだが、なお若干の疑惑を残していたことから、同課長は第一審原告が同事件について容疑がないとか、第一審原告に対する今後の捜査方針についての説明はしなかつた。なお、第一審被告大阪読売新聞社の取材担当者は浅田康主記者で、同記者は所用のため前記のように記者会見に遅れ、午後〇時過ぎ前記記者会見の終る直前に入室したが、同記者に対する比嘉課長の別途説明は要約的なものであり、同記者は事件の背後関係について質問したが、比嘉課長は第一審原告から事情を聞いている旨述べただけで詳しい説明はしなかつた。」

三第一審被告大阪府の不法行為責任の成否について判断する。

1  第一審原告は松井警部補が第一審原告から事情を聴取し、供述調書を作成し又は供述調書を作成しようとしたことは違法な警察権の行使であると主張する。

しかしテルアビブ空港乱射事件は日本国民が日本国外で殺人罪を犯したいわゆる国外犯で刑法の適用があり、警察が、前認定のとおり、第一審原告から事情を聴取し、供述調書を作成し又又は供述調書を作成しようとしたのは右犯罪の背後関係の究明等のためであるから、刑事訴訟法二二三条に照し、なんら違法な点はない。右主張は理由がない。

2  第一審原告は比嘉課長の報道機関への発表は名誉毀損であり、プライバシーの侵害であると主張する。

(一)  比嘉課長が新聞記者に対し前認定の第一審原告に対する捜査の内容を発表すれば、本件事案に照し、新聞による報道がなされることは当然予想されるところであり、また同課長もこれを予想して発表したと認められるから、右発表が特定の新聞記者になされたとはいえ、不特定多数の読者に対する右報道につき発表の範囲内で責任があることは明らかである。そして前記発表を報道した朝日新聞、サンケイ新聞、日経新聞、毎日新聞の報道によつても、第一審原告がテルアビブ空港乱射事件という重大犯罪の犯人と関係があつたということが世間に知れわたり、第一審原告の名誉が毀損されたことは明らかである。

(二)  一般的に名誉毀損の行為があつても、右行為が(イ)公共の利害に関する事実に係り、(ロ)専ら公益を図る目的に出た場合において、(ハ)摘示された事実が真実であることが証明されたとき、又は(ニ)右行為者が事実であると信ずるにつき相当な理由があるときは、その行為は違法性を欠き、不法行為は成立しないので、第一審被告大阪府主張の右(イ)(ロ)(ハ)の違法性阻却事由について検討するとともに、比嘉課長が刑事訴訟法一九六条の捜査機関として名誉を害しないように注意する義務に違反しなかつたかについても検討する要がある。

(1) 前記発表された第一審原告の行為は、日本人ゲリラが出国し国外で重大な犯罪行為を行うに至るまでの行動と密接に関連し、その経緯を知る重要な手掛りとなる行為であつて公共の利害に関する事実に係ることが明らかである。第一審原告は右行為はプライバシーであり、一般に犯罪捜査に関連して捜査機関が知りえた事実は特別の場合を除きプライバシーとして保護されるべきであると主張するが、現行法上プライバシーの概念自体不明確なものがあり、その範囲も必ずしも明確ではないけれども、通常プライバシーとして挙げられる家庭の内情や夫婦の寝室などの私生活を他人に知られず干渉されないという法律上保護されるべき利益の中に右第一審原告の行為が入らないことは明らかである。捜査機関が犯罪行為に関連して知りえた事実については、捜査機関としては前記刑事訴訟法一九六条による義務があるわけであるが、捜査上知りえたからといつてプライバシーとなるものではなく、また通常プライバシーとして保護されるべき事項についても犯罪行為と関連がある場合は公共の利害に関する事実に係るものとしてプライバシーとしての保護を与えられない場合がある。

(2) 比嘉課長の発表は前認定のとおりで、その内容には虚偽の事実は含まれていない。第一審原告の指摘する、七月一八日から第一審原告に対する事情聴取を始めたとか、知情の有無は今後の事情聴取により解明していくとか、第一審原告が国内組織の黒幕であるかのような発表がなされていないことは同時に取材した他紙の記事からも裏付けられる。そして右各紙に対して捜査継続中との印象を与えたことが〈証拠〉によつて窺われるが、前認定のとおり本件発表当時比嘉課長自身第一審原告と過激派の国内組織との関連について若干の疑惑を抱いていたことからすると、虚偽の事実を発表したものということはできない。結局発表した事実は真実であるということができる。

(3) 〈証拠〉によると、当時マスコミは乱射事件めぐる警察の動きを執拗に追い、独自の取材もしており、世界に衝撃を与えた残虐な犯罪として国民も大きな関心を寄せている世界的な大事件に関連する出来事で、記者の取材要求を無下に拒絶することもできなかつたので、一応第一審原告に対する事情聴取が終つた段階で同課長が公表を決めたもので、その目的は主として捜査の経過を明らかにする点にあり、ことさらに第一審原告の名誉を毀損しようとする意図は毛頭なく、むしろ、第一審原告は人の師表に立つことを期待される最高学府の教職にある公務員であるのに、そのような人でも知らない間に犯罪に利用されることがあるという警鐘の意味もあつて公表したものであることが認められる。したがつて比嘉課長の報道機関に対する発表はもつぱら公益をはかる目的に出たものということができる。そして本件が右のようにテルアビブ空港事件という国際的大事件を背景とした極めて公共性の高いものであること、第一審原告の行為は、知情の点はともかく、これを惹起したゲリラの国外への送り出し及び国内への連絡に便宜を与えたものであること、したがつて第一審原告の軽率な行為はその社会的地位(公務員及び大学教授)と相まち社会の大きな道義的非難を受けてもやむをえない事柄であることからすると、比嘉課長が実名で発表したことが刑事訴訟法一九六条所定の義務に違反するものということはできない。(なお右の点からして同課長の発表が地方公務員法三四条の公務員として職務上知りえた秘密を漏してはならない義務に違反するものということはできない。)

四次に、第一審被告大阪読売新聞社及び第一審被告大阪新聞社の不法行為責任の成否について判断する。

1  本件記事が第一審原告の名誉を毀損するかについて

第一審被告大阪読売新聞社及び第一審被告大阪新聞社の本件各記事は、当時国際的な重大犯罪として世間の関心を集めていたテルアビブ空港での日本人ゲリラ乱射事件につき、第一審原告が関係していることを報道するものであるから、右報道によつて第一審原告の名誉が毀損されることは明らかである。そして見出しには第一審原告が同事件の「黒幕か」もしくは「黒幕」と表現され、社会面のトツプ記事として大きく報道されているので右「黒幕」という言葉の意味について見るに、かげにあつて画策したり指図する人(広辞苑)、表面に出ず、かげで指図したりあやつつたりする人(岩波国語辞典)、表立つた動きは見せないが(実権を握つていて)陰でさしずしたりする人。「政界の―」(注、―は黒幕の略)(新明解国語辞典)とされている。しかも黒という言葉は犯罪の容疑者が犯罪の事実ありと判定されるという意味を持つている。したがつて本件のような犯罪に関連して第一審被告両新聞社が使用した「黒幕」という言葉は、朝日新聞が使用した「一役」、サンケイ新聞が使用した「関係」という言葉とは異なり、当事者の事件への介入度は全く相違し、主役者指導者という響きがあり、異質のものである。もつとも第一審被告大阪読売新聞社は見出しには「黒幕か」、本文中には「“黒幕的”存在」という疑問的な表現をしている。しかし黒幕が右のような意味を持つものである以上多数読者に正確な報道を伝えることを使命とする報道機関としては軽々に用いるべきでないのに、同被告が本件のような重大事件に関連して、他の連合赤軍関係事件よりも大きくトツプ記事として報道している見出しに「黒幕か」、本文中に「“黒幕的”存在」という表現をあえて用いることは「黒幕」という断定的な表現をするのと異ならないものということができる。したがつて第一審原告が黒幕もしくは黒幕かとして報道されることは公務員であり大学教授である第一審原告の名誉を毀損することが、大きいものといわなければならない。

2  名誉毀損の違法性が阻却されるかについて

名誉毀損の行為があつても、前記のとおり、右行為が公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出た場合において、摘示された事実であることが証明されたとき又は行為者が右事実であると信ずるにつき相当な理由があるときは、その行為は、違法性を欠いて不法行為にならないところ、第一審被告両新聞社の本件記事が公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出ていることは、右記事の内容から見て明らかである。

(一)  右記事が真実であるかについて検討する。

第一審被告両新聞社の各記事の本文の内容は、前示のとおり、いずれも第一審原告の氏名が浮んで来たのが銃刀法違反の容疑で逮捕、勾留されていた京大生井上康の自供に基づくものであること、第一審原告が井上を知るようになつた経緯、第一審原告が井上の要請によりなした前記各便宜供与の内容について具体的に説明し、さらに第一審被告大阪読売新聞社は第一審原告が国内組織のリーダーとみられる井上を知つており、その要請により手紙の受取り役をしたり資金カンパ等をしている点からみて、警察は第一審原告がいわゆる国内組織の“黒幕”的な存在ではないかとみて調べていると結び、また第一審被告大阪新聞社は第一審原告の知情の有無について警察で事情を聞いているが、この点について第一審原告は弁護士に相談した上でなければいえないと黙秘していると結んでいる。右第一審被告両新聞社が述べる本件の各経過は、前記警察発表と内容的にもほぼ一致しており客観的事実との符合性も認められるが、各本文記事の結論的部分については、第一審被告大阪読売新聞社の警察が原告を“黒幕”的な存在ではないかとみて調べているとすることは警察の発表とは異なり真実に反している。次に、第一審被告大阪新聞社の表現については、当時第一審原告は七月一七日の松井警部補の事情聴取に対しては、調書化することは断つているが、事情聴取そのものには詳しく応答しているのであり、第一審原告が黙秘しているとの記載は事実に反するものであり、そのように発表された証拠もないが、これを名誉毀損の成否と関連して真実でない違法なものであるということはできない。

次に第一審被告両新聞社の見出し部分について検討するに、第一審被告両新聞社の各見出しのうち、本文記事の内容である奥平からの手紙の受取り及び出国資金の貸与に関する部分は、客観的事実に符合しているが、第一審被告読売新聞社の「日本人ゲリラ事件の国内組織の黒幕か」という記載、第一審被告大阪新聞社の「空港乱射事件の黒幕」という記載については発表当時は勿論その後も真実であつたとの証拠はない。

(二)  次に第一審被告大阪読売新聞社の見出し中の「黒幕か」、本文中の「“黒幕的”存在でないかと取調べている」との記事、第一審被告大阪新聞社の見出し中の「黒幕」の記事につき真実と信ずるについて相当な理由があつたか否かを検討する。

報道機関は捜査機関の真実ではない発表をそのまま報道したときでも、真実であると信ずるにつき相当な理由があるときに限つて違法性を阻却されるにすぎないが、本件においては第一審被告両新聞社は警察が発表していない真実でない「黒幕」もしくは「黒幕か」「“黒幕的”存在としての取調べ」という報道をしている。右黒幕、もしくは黒幕か黒幕的存在という記載がなくても、読者が右報道された第一審原告の行為からして第一審原告が黒幕であると憶測する可能性は否定できず、また報道機関として右第一審原告の行為からして黒幕の嫌疑を持つことは理由のないものとはいえないが、前に示したとおり黒幕という字句の持つ意味、多数読者に正確な報道を伝えるという報道機関の使命からして、「黒幕」もしくは「黒幕か」「“黒幕的”存在としての取調べ」という報道をするにあたつてこれを真実であると信ずるにつき相当な資料を有していたことが必要である。しかし右のような資料を第一審被告両新聞社が有していたと認めるべき証拠はない。かえつて第一審被告大阪読売新聞社は前記のとおり同一紙面で第一審原告の妻の否定的な発言を掲載しており、同新聞社は否定的な資料を有していたことが認められる。

したがつて第一審被告両新聞社には「黒幕」もしくは「黒幕か」「“黒幕的”存在としての取調べ」という記事が真実であると信ずるにつき相当な理由があつたとはいえない。

以上の認定事実からすると第一審被告両新聞社には第一審原告の名誉を毀損した不法行為責任があるものといわなければならない。

五右第一審被告両名による第一審原告に対する名誉毀損による救済としては、当裁判所は、原審と同様、各金二〇万円の支払によつて慰藉されるものと判断する。その理由は、次に付加、訂正するほか、原判決理由五の説示のとおりであるから、これを引用する。

原判決二五枚目裏一行目の「夕刊紙上に」の次に「三段抜きで」を、同三行目末尾に「四段抜き」を付加し、同六行目の「あわせて」とあるのを「なお被告大阪読売新聞は同月一九日付(頁数から朝刊と考えられる)紙上に八段抜きで、「ゲリラ事件西村徹教授語る、「教育者としてうかつだつた、雑誌の資金に貸す、まさか丸岡に渡るとは」の見出しの下に」と改める。〈以下、省略〉

(村瀬泰三 林義雄 弘重一明)

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